
あなたが信じる神とは?/ 神社に隠された異次元の存在

神とは何か? その存在は本当に私たちを見守り、導くものなのか? ある著書をもとに、わたし自身の考察を交えながら、その真相に迫ってみよう。
神社に神は存在するのか?
神社に「全知全能の神」がいると信じている者は多い。しかし、結論から言えば、そのような存在はいないのだ。この事実を受け入れるのは容易ではないだろう。なぜなら、神社を訪れた際に感じる不思議な気配や鳥肌が立つ感覚が、「何か」がそこにいることを示唆しているように思えるからだ。しかし、それは本当に「神」なのだろうか?
この問いに対する答えを導くため、まずは神という存在について掘り下げてみよう。
神の正体とは
多くの人が「神」と聞くと、すべてを知り、すべてを見守る慈愛に満ちた存在を思い浮かべるかもしれない。しかし、実際には、そのような神は存在しない。では、神社に祀られている神とは何なのか? その答えは、宇宙の視点から考えることで見えてくる。
ミナミAアシュタールの著書『新・日本列島から日本人が消える日』には、驚くべき事実が記されている。それは、神社の神の正体は「宇宙人」だったというものだ。

新・日本列島から日本人が消える日
- 出版社:破・常識屋出版 (2019/6/15)
- 発売日 : 2019/6/15
- 単行本 : 304ページ
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この話を聞いて、「そんな馬鹿な!」と思う人もいるだろう。無理もない。長年、神社は神聖な場所であり、そこにいる神は絶対的な存在だと教えられてきた。しかし、日本神話をよく読み解けば、神々の姿は決して完璧ではなく、人間に近い存在であることがわかる。そして、その正体を探ると、神とされる存在の背景には宇宙種族の影響があることが見えてくるのだ。
人類と宇宙のつながり
そもそも、私たち人間は単なる地球上の生物ではなく、宇宙規模の存在である。
高次の宇宙存在アシュタールのメッセージでも、「人間は、誰かにリードしてもらわないと何も出来ないような小さな存在ではありません」と語られている。そして、エイブラハムの教えにも、「人間は、宇宙のあらゆる資源を思うままに使える最先端の創造者だ」と記されている。
つまり、本来の人間は「神にすがる」ような無力な存在ではなく、自ら現実を創造する力を持った存在なのだ。
しかし、人類がその力を思い出さないように仕向けた者たちがいる。彼らこそが、神という概念を利用して支配の仕組みを作り上げた者たちなのだ。
神に依存する必要はない
日本神話をよく読んでみると、神々の振る舞いは必ずしも慈愛に満ちたものではない。戦い、支配、嫉妬、策略――その多くが、宇宙種族同士の争いを記録したものと考えられる。
本来、人類は神にすがる必要などない。なぜなら、私たちこそが宇宙そのものであり、無限の創造力を宿す神そのものだからだ。宇宙の法則を理解し、自らの力を信じることで、神に依存せずとも自分の現実を思いのままに創造できるのだ。
神とは、すべてを超越した全知全能の創造主ではなく、ワンネス(すべてがひとつであるという概念)の中に存在する一つの表れに過ぎない。宇宙そのものがひとつの意識であり、我々人間もまた、その一部なのだ。
では、なぜ神社を訪れると、何か「大きな存在」を感じることがあるのか? それは、神とは別の「異次元の存在」がそこにいるからである。それについては、後の章で詳しく解説しよう。
まずは、ある宇宙種族について解説させていただく。
宇宙種族ドラコニアン

ドラコニアン」とは、現在も地球(テラ)と深い関わりを持つ宇宙種族のひとつである。一般的に「ドラゴン」や「爬虫類型生命体」と誤解されがちだが、彼らは人類を支援し、調和をもたらそうとしている友好的な存在なのだ。特に、縄文時代の人々とは強いつながりを持ち、今もなお、知恵や波動エネルギーの扱い方を伝え続けている。
ドラコニアンと地球(テラ)の関係
ドラコニアンがテラに関与するようになったのは、アトランティス時代にさかのぼる。当時、アトランティスを支配していたのは『レプティリアン』という宇宙種族であった。彼らは人類を支配し、波動を重くすることでエネルギーを吸い取っていた。この状況に苦しんだテラは宇宙に助けを求め、それに応えたのがドラコニアンだったのだ。
ドラコニアンは、テラと共鳴しながら活動する宇宙種族であり、彼らの目的は人類が自由に進化する手助けをすることであった。彼らは人間に高度な知識を授け、精神的な成長を促した。その影響を強く受けたのが、縄文時代の人々である。
縄文時代の人々とドラコニアン
縄文時代の人々は、強い超感覚を持っていた。彼らはエネルギーを直接感じ取り、物理的な形ではなく「波動」で物事を認識していた。そのため、ドラコニアンの存在もエネルギーとして知覚し、親しく交流していたのだ。
もともとドラコニアンには個人名がなかったが、人間がそれぞれのエネルギーを識別しやすいように、「さくや」「セオリツ」「ククリ」「ニギハヤヒ」といった名前をつけたとされる。これらの名が後に日本神話に登場する神々と酷似しているのは偶然ではない。
しかし、弥生時代以降、人類は「超感覚」を失い、エネルギーを直接感じ取ることができなくなった。その結果、形あるものや名前に頼るようになり、そこに「ナーガ」という宇宙種族が巧妙に介入したのだ。
ナーガによる支配と日本神話に描かれた宇宙種族の争い
ナーガとは、レプティリアンの部下であり、日本を含むアジア圏を支配する役割を担う存在である。彼らは、縄文時代に人類と友好的に関わっていたドラコニアンの名前を利用し、自らを「神」として崇めさせた。そして、人々に「神を信仰し、従うことで加護が得られる」と思い込ませ、支配の仕組みを作り上げたのである。
日本神話に登場する神々の多くが、争いや支配に関わるエピソードを持つのは偶然ではない。これは、ナーガたちが過去の行動や対立を、神々の物語として語り継がせたものと考えられる。つまり、日本神話は単なる創作ではなく、宇宙種族ナーガ同士の衝突を記録したものなのだ。
例えば、「コノハナサクヤヒメ」や「ニギハヤヒノミコト」は、日本神話において重要な存在だが、その名前は、もともと縄文時代の人々が、ドラコニアンに対して付けた『呼び名』だったのだ。同様に、神社に祀られている「セオリツヒメ」や「ククリヒメ」も、ナーガによる支配が進む中で「成りすまし行為」が行われたのである。
特に、日本神話の中心的な存在であるアマテラスも、ナーガによって生み出された神のひとつと考えられる。もともと「アマテル」と呼ばれるドラコニアンの存在があり、彼はテラ(地球)の調和を保つために活動していた。しかし、ナーガはアマテルを捕らえ、その事件をもとに「天の岩戸隠れ」の神話を作り上げた。そして、アマテルの名を「アマテラス大神」として改変し、支配の象徴として神格化したのである。
つまり、「天の岩戸隠れ」の話は、実際に起こった出来事を歪め、神話として語り継がれたものなのだ。ナーガは、自らを神として崇めさせるために、日本神話を巧みに操作し、人類の意識をコントロールする構造を築いたのである。
つまり、日本神話に登場する多くの神々は、実は宇宙種族の存在をもとにしており、ナーガが支配を強めるために作り上げた物語の一部だったのだ。
神社にいるのは異次元の存在
では、神社で感じる不思議な気配や、鳥居をくぐったときに立つ鳥肌の正体は何なのか? もし神がいないのなら、神社には何がいるのだろうか?
その答えは、「異次元の存在」だ。
神社には、妖精、妖怪、幽霊、さらには龍神や狐といった眷属(けんぞく)が集まる。これらの存在は、ナーガとは別の次元に属し、人間とは異なる周波数で存在している。そのため、敏感な人は神社を訪れた際に「何か」を感じることがあるのだ。
これらの存在は、神社のエネルギーを管理し、人々の意識に影響を与える役割を持っている。つまり、神社にいるのは神ではなく、異次元の存在なのだ。
さらに、神社の鳥居には「波動調整装置」としての機能がある。元々、日本列島はレムリア文明の流れを受け継ぐ「軽い波動の土地」だった。しかし、全国各地に鳥居を設置することで、その流れを遮断し、エネルギーを滞らせる仕組みが作られたのだ。
例えば、富士山は山頂から宇宙エネルギーを吸収し、日本列島全体に流している。しかし、そのエネルギーの流れを妨げるために、全国に鳥居が設置され、波動を重くする仕組みが作られている。これは偶然ではなく、意図的に行われたものである。
このように、神社の本当の役割は、「人々を高次の存在に繋げること」ではなく、「特定のエネルギーの流れを制御し、人間を低い波動に留めること」にあるのだ。
まとめ
結局のところ、神社に「全知全能の神」は存在しない。そこにいるのは異次元の存在であり、その背景にはナーガという宇宙種族の影響がある。
では、我々はどうすればよいのか? 答えはシンプルだ。
「いい気分で毎日を過ごすこと」
それこそが、波動を高め、テラ全体に良い影響を及ぼす鍵となる。そして、神社の神(全知全能の神などいませんが・・・)に依存しないことだ。
我々はすでにこの宇宙の中で、無限の力を内に秘めた存在である。外に救いを求める必要などないのだ。
最後に、この話を信じるかどうかは問題ではない。大切なのは、与えられた情報をそのまま受け取るのではなく、自ら問い、確かめる姿勢を持つことなのだ。